「元:中3受験生・伴走母」からの「大学受験へ始動開始生・見守り母」の日記ブログ
2021/5start
本日もブログを開いて下さってありがとうございます 。
引き続き娘の自習通い・塾etcについて視野の狭い私が思うことを書きます。
過去のブログに書いていますが、
娘は中2の8月から
「自習室に行くのが当たり前になるぐらい自習室に行く」を目標の一つにしてから、
塾の自習室が解放されている限り
暴風などの警報発令時やインフルエンザ等の体調不良と
コロナによる緊急事態宣言下(休校等)と特別な用事がある日以外は
平日はもちろんですが土日・祝日も塾に行き
自習室に行くのは当たり前になり、
我が家にとっては通過点である高校受験を2021年3月に終え、
4月から高校生になりました。
家では勉強ができない新高校生の娘は、
中学の高校受験前の時以上に、
自習室を第一の目当てにして塾通いを継続中(約1年8カ月目)です。
(※高校生になって通っている塾の授業は英語・数学/週1回ずつ受講中)
さて奮闘しながら自習室に通う過程で、
良いことばかりではなく…悔しい&理不尽な思いを感じながらも、
娘は集中力・思考力・忍耐力を、
私は(まだ子育ての半ばですが)濃密な思い出&子供が持つ可能性を待つ力を、
得ることができたと感じれるようになり、
今まで取り組んで良かったと思えていますが、
子供の自習室通いをサポートしていると
周囲から「可哀そう」「強制」「やらせている」と
オブラートに包んでorストレートに言われる事がありました。
試行錯誤しながら最初で最後の子育てをしている私には、
そのワードに深い意味はなくても何だか悶々とさせられ、
(※深い意味があったら…もっと怖いのですが)
何気ない会話の言葉に引っかかりを覚える自分の器の小ささにも
情けない思いを抱くことがありました。
さて公立高校の出願状況と倍率が発表されて、
子供が高校受験をする保護者間では倍率等の話題が持ち切りで落ち着かない時期に、
娘の塾メイトのママさんと塾の送迎の際に駐車場で顔を合わせて
立ち話をすることがありました。
来月に高校受験をする中3生の保護者同士で塾ママ同志でもあったからか、
「うちの子より後に塾に入ってきた子と志望校が同じで悔しい」、
「小学校から毎日自習に通っているのを&部活の試合後すぐに塾に送ったことを、
可哀そうだと言われて辛かった」と話してくれました。
顔見知り程度の私に自分の想いを率直に口にできる飾らないママさんが
素敵だなと思えたのですが、
私以外にもこのワードで悶々としたことがある方がいるのを知り、
「子供に勉強させて可哀そう」ワードは、おそらく
子供を勉強面で真剣にサポートしている方なら一度は言われたことがあり、
このワードで少なからず悶々とされた方もいて、
もし言われて悩まされた言葉を統計を取ってランキングしたら
このワードは上位に入るのでは?と思ったのでした。
中学2,3生になれば、
親や保護者にいくら勉強するように言われてもやらない子はやらないと思うのです。
つまり中学生に勉強を強制的に「やらせる」場合、
どこかにムリが生じて続かないのでは?
毎日or長時間の自習通いは出来ないのでは?と思うのです。
子供が楽しくはないかもしれない勉強に向き合えるのは、
子供なりに何か理由・目的を見いだせたから自学できると思えるのです。
そのため親切心からの「強制は可哀そう」の助言に、
この自学を手に入れるまでにはバックボーンがあるので、
「可哀そう」ワードで括って欲しくないという反発心と、
あと数年この道のりを歩むので、
「可哀そう」ワードでモチベーションを下げないで欲しいという抵抗心と、
この自学を手に入れる過程で得たモノを語るに語れない心苦しさが、
サポート&伴走する保護者の心を悶々とさせるのだと思うのです。
本日はここまでです(^▽^)/
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拙い内容の文章を最後まで読んで下さって有り難うございます。
(※あくまでも視野の狭い我が家の感想です。ご注意下さいませ。)
またお立ち寄りくださいませ。